珈琲店 モカ

電車を降りるとプラットホームから小さな珈琲店が目に入ります。
変色した古い写真の切れ端のようなその店の硝子窓に
「女店員募集」と書かれた貼り紙を見かけることが度々あります。
マジックインクで書かれた文字が、風雨に晒されて、かすんでしまっていても
依然として掛けられたままになっていることもありました。
それでいて店の中で、女店員らしき人を見かけたことはありません。
夕方の6時ごろには、電車はひっきりなしにプラットホームに
滑り込んできます。
忙しく走り回る黄色い箱は、駅に着くたびに大勢の男や女を
吐き出して行きます。
こんな煩雑さと騒音を絶えず提供する駅前にある、その珈琲店は
世の中の動きには全く無関心にみえます。
油絵具の重たげな色調の漂う店内では、近所の商店主らしい男が
新聞のページを繰る乾いた紙の音と、箱型ラジオから低く流れる
ロックのひびき、この店の中ではヒステリックなエレクトリックサウンドすら、
哀調を帯びたブルースに変身してしまいます。

こんな静けさを感じさせるのは、漆喰の壁に掛けられた
ルノアールの少女の微笑みのせいかもしれないし、
チョコレート色のカウンターか、埃で白茶けたブラインドのせいかもしれません
あるいは明るすぎない電球のためか、それとも珈琲の香りのする
空気が音を吸い取ってしまうのでしょうか。
娼館のマダムを思わせる、愛想のいい女主人は、カウンターの後ろにある
小さな扉から身を屈めて出入りしています。
扉のむこうは、炬燵やテレビが並んだ何処の家でも見られる
風景があるのでしょうが、時が止まったようなこの店の空気が、
そんな日常的な想像を壊してしまいます。
堀辰雄の憂鬱な横顔を見せる青年が紫煙をくゆらせていたり、
丸善からの帰りに梶井基次郎が珈琲を飲みに入ったカフェは
きっとこんな店だったのではないかと想うのです。
赤茶けた古い写真のようなこの店のある風景は、長いこと私の生活に
染み付いているにもかかわらず、窓際に席をとって、珈琲を啜りながら、
ぼんやりストーブに温まっていると、
見知らぬ町で、暖かそうな灯に誘われて入ってしまった旅行者のような
気がしてくるのです。

今は消えてしまった昭和の東中野の思い出です。
nn

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